そもそも、どうしてこんなことになったのか。
心当たりはある。
(でもそんなの)
顔を枕に押し当てた。
(そんなことってあるんだろうか)
―――陽介の匂いがする。
スウと吸い込んで、目を閉じると、溜息を吐いた。
(俺は、いつの間にアイツにこんなにも依存するようになっていたんだろう)
今でも正気の沙汰ではないと思っている。
勘違いだろうが、錯覚だろうが、友人ではない愛情を抱いていることは確かで、それがウソかホントウかなどという問題はどうだっていい、胸の奥に込み上げてくる想い、それが全てだ。
(馬鹿みたいだな)
女になって涙腺まで壊れてしまったのだろうか。
あふれ出して止まらない熱い雫が枕に吸い込まれていく。
「陽介」
掠れた声で呼びかける。
「どうすればいい?陽介、俺は、どうしたらいい?」
何を望んでいるのか、何を欲すればいいのか。
混濁する意識の中、熱を帯びた思考は、暗闇の先に何も見出せないまま沈んでいった。
*****
「はあ」
客間に布団を引くのが面倒で、居間のソファにごろりと横たわった陽介は、ぼんやり天井を見上げていた。
(朋也、今頃どうしてるかな)
ちゃんと眠れているかな。
熱で苦しんでいないかな。
(やっぱ傍に居た方がいいんじゃねえの?)
けれど二人きりになれば、また手を出してしまいそうな気がする。
(なんだろう、俺)
朋也が女になる以前から、最近は朋也の事ばかりだ。
春に出会ったばかりの頃は想像すらしなかった。
いずれ、この人を好きになって、告白して、男同士という障害すら踏み越えて愛し合いたいと願うようになるなんて、本当に人生は何が起こるかわからない。
(怖いよな、まぁ、朋也だけだし、ホモってのとも微妙に違うから、こういうの運命とか呼ぶんじゃねえ?)
即座に恥ずかしさが込み上げてきて、思わず熱を帯びた顔面を両手で被った。
(男の恋人なんて、まともじゃねぇよ)
深々と息を吐く。
(そりゃ、トチ狂ってるンだろうよ、野郎相手だぜ?エロとか普通にねえだろ、マジきめぇし)
朋也も、特殊な性癖を持っているわけではない。
実際の所、どちらかといえば自分が先に惚れこんで、猛アタックの末に体の関係にまで持ち込んだ印象が強いから、アクションを起こさなければ仲間や学校内の誰か少女と付き合っていたかもしれない。
(実際、朋也はどう思ってんのかな)
そろそろと下ろした両手を胸の辺りで組み合わせて、暗闇の中、天井に目を凝らした。
(俺との事、ちゃんと好きでいてくれてんのかな、付き合ってくれてるだけじゃ、ないよな?)
男の時は恋人半分、相棒半分だったけれど、女になった朋也は、守るべき恋人のように感じている。
それは多分嫌なのだろう、やけに突っぱねてくるし、無理ばかりしようとする。
朋也は強いし、努力家だから、抱え込んだ荷物を自分の中だけでどうにかしようとして、誰かを当て込むなんて考えてもいないと、そんな雰囲気を感じるたびに心は酷く傷ついた。
今だってそうだ、確かに、自分自身に当て嵌めて考えてみれば、いきなり体が女になって、戻る見込みもない状態は不安で恐ろしいに違いないし、便乗して関係を求めてくる自分みたいな奴は、正直腹立たしいだろう。
(でも、だからって、今のお前はらしくねえよ、朋也)
女の子でもいいじゃないかと思っている。
そんな事を言ったら、朋也は嫌うだろうか。
(でも、お前、ペルソナだって何だって、受け入れてきたじゃねえか)
訳のわからない力に目覚めて、厄介な事件に巻き込まれて、しかもそれが、家の都合で預けられた先での出来事だなんて、普通は持て余すだろう、匙を投げて、目と耳と口に蓋をして、当たり障りのない暮らしを望むだろう。
(俺はさ、バカだから、すげーな、格好いいなで、後の面倒事全部お前に押し付けちまえば、単純に楽しんでるだけで済んでたけどさ)
望んでもいない責任を、それでもちゃんと引き受けて、朋也はしっかり現実に立ち向かっている。
ずっとそういう背中を見てきた。
朋也は、多分、何があっても揺らがないと、半ば確信していた。
(けど)
不安定な今の朋也は心底見るに耐えない。
こちらの足元まで揺らいでしまいそうだ。
仲間たちも同じ様に感じているだろう。
(だから、女だって事、受け入れちまえばいいのに)
無責任で都合のいい考え方だという事は百も承知だけど、そうすれば今よりずっと楽になるんじゃないか。
その上で、改めて男に戻る方法を探していけばいいだろう。
(どっちにしたって、俺にとってお前は、お前でしかないんだから)
陽介はそっと目を閉じた。
(苦しそうなお前、もう見たくねえよ)
胸の奥の方から息苦しいほどの感情が込み上げてきて、ダメだな、やっぱ無理だ、と、ソファから起き上がった。
冷たいフローリングの床に素足をペタリと下ろして、二階に向かってゆっくり歩き始める。
(こういう時、一人にしとくのは良くない、朋也だって色々考えちまうだろう、でも、今のアイツじゃ悪い方にしか考えられない気がする、だから傍にいて、そんなことないって、一晩中でも言ってやらねえと)
拒まれたら部屋の外でも、ドア越しでも構わない。
何か話しかけてやろう、傍に自分がいる事を、朋也に伝え続けよう。
(前にお前が俺を助けてくれたみたいにさ、恩返しって訳じゃないけど)
できる限りをしてやりたい。
明かりも点けずに手探りで歩く闇の向こう、鼻腔に、仄かな甘い香りが漂っていた。
*****
ドアをノックしても、呼びかけても、返事は返ってこなかった。
もしかしたら寝ちゃったのかなと思う。
それとも具合が悪くて動けないのか、そうだとしたらいけないと、そっとノブを回して開いた扉の隙間から中を伺うと、途端濃厚な香りが溢れだしてきた。
(な、何だ?)
咄嗟にギョッとする。
こんなルームフレグランスは使っていないし、そもそもこんな香りを嗅いだ事がない。
(悪い匂いじゃないけれど―――寧ろちょっと、モヤモヤしてくるような)
官能的な花の香り。
まさか朋也の匂いかと考えて、流石にそれはないだろうと、苦笑いと共に部屋に入ると、改めて充満する香りに目眩すら覚える。
凝らして窺う闇の先で、何かがゆっくりと体を起こした。
「陽介?」
声を聞いて僅かに安堵した陽介は、何だこの匂い、と尋ねる。
「匂い?」
朋也が首を傾げたように見えて、判らないのかと妙な気分になった。
「―――ねえ、それよりドア、閉めてくれないかな」
「え?あ、ああ」
パタンと扉を閉めると、屋内は黒一色で塗りつぶされた。
「どうしたの?」
「ん、いや」
そろり、と一歩踏み出して、鼻をつままれても判らないような闇の中を、記憶のみを頼りに近付いていくと、微かに笑い声が聞こえた。
「こっち、こっち」
伸ばした両手が何かに触れた。
指先が絡み合い、引き寄せられるようにして、ベッドに倒れこんだ。
体の下に感じる体温。
頬を寄せると、サラサラとした髪の感触が耳の辺りで擦れる。
クスクスと笑う声が、再びどうしたんだよと問いかけてきた。
陽介は首筋に唇を寄せて、お前のことが心配で、と返す。
「心配で、襲いにきた?」
「違う」
「一人にして欲しいって言っただろ?」
「そうだけど、でも、お前」
「何?」
柔らかく瑞々しい肌は、触れているだけで理性を根こそぎ奪われてしまいそうで、そんなつもりがなくても下肢に熱が集まりつつある。
朋也の腿の辺りに乗り上げているから、きっと気付かれているだろう。
けれど特に指摘もせず、陽介の背中に腕を回して、触れ合う部分から伝わってくる心臓の音だけが早い。
(このまま)
本能に飲まれて、気が済むまで貪りつくしてやりたい。
(けど)
陽介は肩の辺りに押し付けていた唇を離すと、ハアッと息を吐いた。
ギュウと強く抱きしめた朋也を緩やかに解放して、改めてベッドの上に寝そべると、細い体を引き寄せる。
上掛けを直して、並んで横になって、滑らかな感触の髪を二度三度撫でた。
「何?」
笑い声に次いで、不思議そうな声が陽介に問いかける。
答えないで寄り添うように体を寄せると、胸の中にすっぽりと納まった朋也は、またクスクスと笑っていた。
「勝手だな、陽介」
「え?」
「無理矢理だったり、自己中だったり、これは、弁解の代わり?」
「そんなんじゃねえよ」
「優しくするのは楽しいか?」
「違う」
少し強く返すと、沈黙の後で「ごめん」と聞えた。
「眠いんだ、誰かさんが散々してくれたおかげで」
「悪い」
「そう思うなら、もう寝かせてくれ、俺も、お前とするのは嫌いじゃないけど、流石に今日は疲れた」
「えっ」
「おやすみ陽介」
ごそごそと胸の辺りに擦り寄ってくる朋也の温もり。
思わず抱きしめたら、またクスリと笑った気配がしたけれど、それきりだった。
腕の中で朋也は安心してくれているようで、だから陽介も、ほんの少し気が紛れて、いい香りのする髪にそっと頬を摺り寄せた。
(俺は、また自分のことばかりだったのか)
指摘されて気付くなんて馬鹿だ。
どうすれば、真実朋也のためになれるだろう。
(わかんねえ)
抱き合ってただ眠るのは随分久しぶりの様な気がする。
情けない思いを噛み締めながら、触れ合うぬくもりはただ愛しくて、陽介は心底朋也の助けになりたいと、そっと触れる手に力を込めた。
闇に、脳髄にまで滲み込んでしまいそうなほど、濃厚な花の香りが満ちていた―――