受話器を置いて、溜息を吐きながら居間に戻ると、「叔父さんどうだった?」と暢気な声が訊いてきた。

朋也は陽介を見て、改めて小さく息を吐き出す。

「―――何だよ」

「とりあえずいいって言ってくれた、あんまり迷惑かけるなって釘まで刺された」

「そっか」

叔父は本当の理由を知らない。

声がおかしいと言われてしまった、病気なら戻って休めとも言われた。

友達とふざけ過ぎたんだと話してどうにか納得してもらったけれど、今度はあまり遊んでばかりいるなと小言を頂いてしまった。

(叔父さんは心配してくれているんだ)

それは理解している、けれど、なんだか釈然としない。

その場でぼんやりしていた朋也は不意に肩を抱かれ、引き寄せられた方を見上げた。

傍らに心配顔の陽介が立っていた。

「大丈夫か?」

「うん―――っていうか、花村」

「ん?」

あまり女みたいに扱わないでくれと腕を叩き落す。

そのまま、さっきまで睦みあっていた居間のソファに腰を下ろし、ため息を漏らしながらテレビの画面を眺めていると、間を置いて戻ってきた陽介が隣にそっと腰掛けた。

こちらをチラチラ窺いながら、また身を寄せてこようとするので、朋也はフイと立ち上がりキッチンに向かう。

「黒沢ぁ!」

背後から情けない声が上がった。

男物の衣服はダボついて仕方ない。

先ほどの情交で着ていたものは汚れてしまったから、朋也は陽介の部屋着のTシャツに袖を通していた。

下はやむを得ずのトランクス、これも、陽介の私物を借りた。

衣服は陽介の汚れ物と纏めて洗濯中。

(髪が長いと鬱陶しいな)

冷蔵庫を覗き込んでいた朋也は、急に背後から抱きしめられて動作を止める。

「黒沢ッ」

「―――花村」

「冷たいッ、何なんだよお前!」

それはこちらが問いたい。

うんざりと目の据わっている朋也に構わず陽介は不満をぶちまけてくる。

「さっきやっちゃったせい?それとも何か気に食わなかった?なあ、黙ってないで何とか言えよ、黒沢ぁ」

「鬱陶しい」

「そういうこと言うなって!」

圧し掛かってくる体を押しのけて、冷蔵庫から取り出した食材を調理台に並べていった。

タマネギ、タマゴ。

「黒沢ぁ」

バターに牛乳。

(米もあるのか、よし)

「うぅ」

手を止めて振り返ると、今にも泣き出しそうな顔をした陽介が恨めしそうにこちらを見ている。

朋也は暫く眺めて、思わず吹き出してしまった。

―――子供か。

(まったく)

こういうところが陽介はズルイ。

やれやれと溜息交じりに冷蔵庫のドアを閉めた。

改めて、花村、と手を差し出すと、フラフラ近づいてきて、ギュッと抱きしめられる。

朋也はあやすように広い背中をポンポンと叩いてやる。

河原での一件以来過剰にスキンシップを好むようになった甘ったれの相棒は、ひとしきり人肌の温もりを感じて満足したのだろうか、暫くすると自分から離れて、見詰め合った先でフニャリと気の抜けた笑顔を浮かべた。

「黒沢ぁ」

内心、朋也は陽介のこういった所をつくづく面倒臭いと思っている。

(俺は本当にこんなのの何が良かったんだろう)

性格が良い事は認めるが、正直体の関係にまで発展した理由は自分でも謎だ。

成り行きでなし崩し的に絆されたのだろうか?

(認めたくないなあ)

朋也は陽介の頭をポンと叩くと「飯作るから手伝え」と言った。

以前は簡単に届いた高さでも、今の朋也の身長は千枝ほどしかない。

十センチは確実に高いだろう、姿を見上げると、犬は嬉しそうに「おうッ」と応えた。

まあ犬は食事の手伝いできないからなと意地の悪い事を考えながら、朋也は陽介の母の物だというフリルたっぷりのエプロンを身に纏う。

髪も邪魔だから押さえるものは無いかと尋ねたら、少しくたびれたターバンを手渡された。

それで、とりあえず前髪とサイドの髪を押さえて、大分開けた視界に納得すると、朋也は早速調理を開始する。

油とバターを引いたフライパンの上でタマネギを炒めて、ベーコンを合わせ、更に解凍した小分けのご飯を二つ足して炒めた。

合間に陽介に切ってもらった野菜を入れた鍋の煮え具合を確かめて、塩、コショウを振り、コンソメを溶かすと、野菜のだしとコンソメの混ざったスープを炒め物に少量注して、ケチャップで味付けをして、二等分して皿に避ける。

フライパンは手際よく洗い、水気を飛ばして再びバターと油を引く。

陽介に卵を溶いてもらって、それが済んだら新しい皿とボウルをそれぞれ二つずつ用意しておいてくれと頼んだ。

タマゴを適量、片面半熟の平たい玉子焼きにして、皿に分けたご飯の上に乗せてから端を簡単に処理すると、あっという間においしそうなオムライスの完成だ。

手渡された陽介は「おおー」と歓声を上げていた。

「タマゴの上からケチャップ、かけておいて」

「了解であります!」

朋也はコンソメスープの仕上げに取り掛かる。

ベーコンを細かく切り、焦げ目がつかない程度に炒めてスープに足すと、隠し味を加えてこちらも出来上がり。

ボウルに注いでテーブルで待ち焦がれている陽介のところまで運んでいった。

おりこうさんの相棒は、ちゃんと食器の準備を終えて、おとなしく『待て』の体勢で朋也が席に着くのを待っていた。

―――しかし。

金色に輝くオムライスの表面に描かれていた図形を見て、朋也はあからさまにうんざりした表情を浮かべる。

その様子を見た陽介は、急に表情を曇らせると、キュッと唇を結んで僅かに項垂れた。

「花村」

「ハイ」

「これ、何」

「―――俺の気持ち」

真っ赤なハート。

陽介のオムライスにも同じハート。

溜息交じりに自分のスープを用意する。

対面する側の席について朋也は手を合わせた。

「いただきます」

「―――イタダキマス」

挨拶を交わすと、それきり無言の食事が始まった。

黙々と食べ続ける朋也をチラチラ窺っていた陽介は、スプーンを握ってテーブルの上に身を乗りだしてくる。

「なあ!お前さ、今日、やっぱりちょっと変じゃない?」

「行儀が悪い、スプーンをそんな風に持たない」

「うッ、じゃ、なくて!」

「―――今が変じゃないって言うなら、花村の頭の中には花畑が広がってるんだろうな、花村だけに」

「何ソレ!どうしてそんな意地の悪いことばっかり言うわけ!?」

再びの沈黙。

「な、なあ」

「黙って食べる」

「ううッ」

食事の音だけ聞こえる。

居間でつけっぱなしのテレビは既に背景の一種だ、番組はニュースに変わっていた。

廊下の向こうから洗濯終了を告げる軽快な電子音がかすかに響く。

「―――黒沢」

陽介が、意を決したようにスプーンを置いた。

顔を上げた朋也も皿の上にスプーンを置くと、なんだと視線で続きを促す。

「あのさ、これからのことなんだけどさ」

「何」

「うん、あのさ―――とりあえず、明日っから特捜メンバー全員で、お前元に戻す方法探すって事になってるだろ?」

「ああ」

「けどさ」

その、と陽介は言いよどむ。

「お前自身、どーなの?」

「何が」

「いやだから、今の状態とか、その」

俯いて、上目遣いに窺う表情に、何となく嫌なものを察して眉間を寄せる。

「女の子のままでもいいかなー、とか」

陽介は怯えながら薄ら笑いを口の端に滲ませた。

「その、ちょこっと考えちゃったりとか、してる?」

「はあ?」

「いやホラ!―――さっきのアレ、とか、で」

いやらしい気配の瞳をひとしきり見詰め返したあとで、朋也は猛烈な勢いでオムライスを食べ始めた。

完食してからスープも飲み干す。

呆気に取られている陽介の目の前でガチャンと音を立てて食器を重ねると、ごちそうさま、と吐き捨てるように言い残して席を立った。

慌てて陽介が「黒沢!」と呼びかけながら、台所まで追いかけてくる。

「ちょ、ま、待った!悪い、悪かった!俺嫌な事言ったよな?な!?謝るから、謝るからさ!」

朋也は無言でシンクに食器を置くと、スポンジと食器用洗剤を手に取った。

隣で必死に弁明を続ける陽介に目もくれず、黙々と片づけを済ませて、居間のソファに腰を下ろす。

再び追いすがってきた陽介が隣に座ろうとするのを、キッと睨んで牽制すると、食事を済ませてこいとだけ告げてテレビのリモコンに手を伸ばした。

―――視界の端を陽介がトボトボと去っていく。

(最悪だ、アイツ)

苛立つ朋也は内容もろくに確認しないで次々とチャンネルを変えていく。

堂島家においてチャンネル支配権は基本菜々子が所有しているから、こういった暴挙に及ぶのは久しぶりだ。

もっとも今頃陽介はテレビなんて見る余裕もなくモソモソとオムライスを食べているだろうから、気にするは必要ない。

奴が何を言いたかったのかは、わかる。

少し前にこの場所で及んだ行為―――これまでにない快楽を与え合った、全くまっとうな性行為。

男同士なら異常でも、男女であれば正常、それは倫理とか一般概念的なものだけでなく、体の具合がそうできているのだからどうしようもない。

愛だけで乗り越えられる壁ではなく、また、こうして比較されてしまうと嫌でも思い知らされる。

朋也は、自分と陽介の性癖が異常とは微塵も考えていなかった。

けれど、先ほどの、いつもより随分キモチ良さそうだった陽介を思い出すたび―――つい不安になってしまう自分につくづく嫌気を覚える。

視線を落として豊かに膨らんだ胸元を見下ろした。

Tシャツの上からでも判るほどのボリューム、股間にも在るべきものの存在を感じられない。

改めて触れなくても判る、これは、女の体だ。

(けど、俺は―――こんな状態、納得できるか)

鬱々とした気持ちが込み上げてくるようで、ため息を吐いて視線をそらした。

立ち上がり、カーテンを少しだけ開いて外を見れば、黒く塗りつぶされたガラスに雨粒が伝い落ちる。

―――明日の朝になれば戻っていたりしないだろうか。

(こんなバカな話無いだろ)

握り締めたカーテンの表面に鼻先を押し付ける。

女々しい仕草も今なら似合うのだろうか。

皮肉な笑みをうっすら浮かべて、朋也は小さく嘆息していた。

「黒沢」

背後からの声に振り返る。

陽介が、どうしたらいいのかわからない、といった表情で立ち尽くしていた。

「―――ゴメン、俺、無神経だった」

朋也は無言で陽介を見詰めている。

「お前が不安なの見えてなくて―――自分に都合よくばっかり考えて―――ホント言うと喜んでたんだ、その、お前が女だったら色々都合いいっていうか、嬉しいし、人目憚らず付き合えるし、それに」

ゴクリと息を呑んだ陽介の頬が仄かに色付く。

「お前のこと泊まらせる口実もできて、なんていうか、正直男同士じゃ出来ないエロい事もできるかなって、考えてたよ」

―――ふと朋也は、今の姿は陽介の好みなのかと聞いてみたくなった。

直後に浮かんだ考えを否定する。

(馬鹿らしい、そんなこと、訊いた所で何だっていうんだ)

陽介は口を閉じて俯いた。

けれどすぐ顔を上げると、ギュッと拳を握り締めて、真っ直ぐ朋也を見詰め返してきた。

「けど、もうそんなのどうだっていいんだ」

そして頭を振る。

「俺、お前がずっと暗い顔してイライラしてんの見てるの嫌だよ!」

再び真摯な眼差しが朋也を見詰める。

「俺に腹立ってるなら謝る、不満があるなら聞くし、ちゃんと協力するからさ、だから、一緒にこれからのこととか考えよう?お前元に戻すためなら俺なんだってするよ、お前がそう望むんなら、俺は何でも」

だから、だからさ、黒沢。

「頼むよ」

苦しげな表情で懇願する姿に、朋也の胸がギュッと痛んでいた。

今、この場で何もかも納得するのは無理だ。

(けれど)

とりあえず、陽介に当り散らすのは間違っている。

(これは俺の問題なんだから、俺の混乱をこいつに押し付けたらいけないだろう)

朋也は目を閉じると、ゆっくり肩の力を抜いていった。

(とりあえず今だけは、色々考えるな)

―――脳裏をあの言葉が過ぎる。

ふと、瞼を開いて、視線の先に佇む陽介に、朋也はフワリと微笑みかけていた。

(それも、今だけは、いい)

「黒沢ぁ」

叱られた犬の様な顔をしていた陽介がつられてふらりと一歩踏み出す。

「ゴメンな、花村」

後ろ手にカーテンを閉めて、今度は朋也のほうから陽介に近づいていった。

手を伸ばせば触れられる距離で立ち止まって見上げる。

「―――俺、ちょっと混乱して、お前に八つ当たりしてた、悪かった」

「いや」

「でもさっきの暴言は許せないな、あれだけは取り消してくれ」

「あ、ああ、俺はお前がどっちでも気にしない」

「違う」

「ハイ、違います、黒沢君が男に戻るの全面的に賛成です、すみませんでした!」

「よし」

腰に手をやって頷いた朋也を、案の定陽介は腕を伸ばして引き寄せた。

温もりに包まれながら、ほんの少しだけ悪くないと思ってしまう自分に呆れる。

でも―――今だけはいいと改めて広い背中に手を回した。

今だけはいい。

今だけは素直になっておこう。

意地を張ったところでどうしようもない事だから。

「そういえば花村」

「ん?」

「居間のソファでしちゃって平気なの?」

「へ?」

匂いとか色々染みたんじゃないのか?

朋也の指摘を受けて一瞬ぽかんとしていた陽介は、次の瞬間真っ赤になって、両腕を激しく振り回しながら安物だし合皮だけど防水加工してあるはずだから気にしないでいいと慌てて言い訳を始めた。

どうやら―――朋也が気にしていると勘違いしたらしい。

別にそういうことじゃないのにと内心呟いて、朋也はクツクツと笑い出していた。

陽介は急におとなしくなって朋也の姿をポケッと眺めていたけれど、目が合った途端妙にソワソワして「とりあえず座らない?」とためらいがちに件のソファを指差した。

「あとで、ちゃんと掃除しておくから」

「もういいよ」

隣り合って腰を下ろす。

そっと身を摺り寄せてくる陽介に、朋也はもう何も言わなかった。

それから2人は長い間、これからのこと、諸々の対策や捜索方針について話し合った。