これまでの関係が変わってしまった。
10歳の子供にもその程度は理解できた。
直哉は、普段はこれまでと同じ様に接してきたけれど、夜になると時々、パジャマを脱がせて和哉の体のあちこちを色々なやり方で触れてくるようになった。
言うなと口止めされていたから両親にすら話さなかったが、それ以前に、これは誰にも知られてはいけない事だという無意識の自制が働いていた。
行為自体に嫌悪感を抱いたことは全くない。
ただ、稀に自身も服を脱ぎ重ね合わせる肌は火傷しそうなほど熱く、なのに触れる手はヒヤリと冷たくて、その対比が不思議な安堵と共に和哉の体に刻まれていった。
そして、更に五年後、兄弟の関係は再び大きな変化を迎えたのだった。
和哉が中学に上がると同時に、直哉とは部屋を分けられてしまった。
母曰く、二人とも大きくなった事だし、いつまでも二段ベッドで過ごすのは窮屈でしょうと、そういう理由だったように記憶している。
実際、今にして思えば、直哉は随分と色々我慢していたのかもしれない。
和哉が生まれるずっと前に両親を亡くし、養子として蓮見家に迎え入れられた直哉。
父との不和もその辺りに端を発しているのだろう。
母は優しい人だから、二人を兄弟として育ててくれたけれど、両親に対して直哉はいつまでも居候のままだった。
ただ、和哉にだけは、実の兄以上の愛情を持って接してくれていたように思う。
随分前に従兄弟の意味を知り、部屋も分かれてしまって、なんとなく距離ができてしまったように感じていた弟の不安を見透かしたかのように、その後も兄との睦み合いは続いた。
それは、二人だけの大切なひと時。
いやらしい事などしていない、特別仲の良い兄弟だけが行う愛しい気持ちを伝え合う儀式。
当時は和哉にとって直哉の存在は殆ど絶対的なもので、だからその言葉も素直に信じ込んだ。
もとよりスキンシップ過多に育てられてきた体はすぐに馴染んで、秘密の情事はいつの間にか和哉の日常に組み込まれていた。
―――けれど、その日は訪れた。
体面を気にした父から強制進学させられた大学に通いつつ、フリーのプログラマーとして青年実業家の名を欲しい侭にしていた直哉が、再三持ち込まれていた海外留学の話を突然受けると言い出したのだった。
実際優秀な彼の名は国の内外を問わず業界全体に遍く知れ渡っており、そのためあちこちから引く手数多のお声がかりのあったものを、直哉はずっと固辞し続けていた。
直接聞いたわけではないが、それは自分のためではないのかと和哉は何となしに感じていた。
けれど、相談も、前触れすらなく、直哉はとある大企業の誘いを承諾した。
手放しで喜ぶ父と寂しそうな母の対比を今でもよく覚えている。
話はとんとん拍子にまとまり、大学の特例措置で卒業証書だけ受け取って、直哉は何の未練もなく日本から飛び立ってしまった。
―――その背中を、和哉はただ見送る事しか出来なかった。
いつだって傍にいてくれた最高の味方。
庇護の翼を失って、存在の重みと大きさを改めて深く思い知らされた。
誰のどんな慰めの言葉も喪失感を埋めるに至らず、やがて空いたままの虚に不甲斐ない自分への憤りと薄情な直哉に対しての悔しさの様なものが満ちていった。
直哉は勝手だ。
けれど、その兄に甘えるばかりだった自分はもっと身勝手だった。
卓上のエアメールを指先でなぞる。
(一年半ぶり、か)
和哉の15歳の誕生日に合わせて戻ってくるらしい。
久しぶりに会えることが素直に嬉しく、反面、複雑な思いが交錯している。
国外から頻繁に届けられたエアメールは、けれどそっけなく和哉の体調や身の回りの出来事ばかりを気遣い、一番聞きたい言葉は一文字だって書かれていたことはなかった。
(逢いたい、なんて、直哉は思ってないんだ)
俺はこんなに寂しい想いをしているのに。
(きっと平気なんだな)
つまらない―――悔しい、憎い。
物心ついた頃からの付き合い、それこそ、体の奥にまで触れられた、特別以上の存在。
(直哉)
今年、和哉は直哉の母校を受験する。
教員の勧めでもあったけれど、それ以上にいつ戻るか分からない薄情な従兄の面影を求めてしまった故だ。
女々しい心情をくだらない、バカらしいと蔑んでみたところで、あまりに大きな存在の影が否定を拒む。
(直哉)
エアメールに綴られた綺麗な文字。
(逢いたいよ)
誕生日は明日。
父は出張中で来週まで戻れず、母までもタイミング悪く町内会の用事で当日の晩は留守にするらしい。
(ケーキだけ用意してくれたって嬉しくない)
プレゼントだけはしっかり強請っておいた。
直哉の事は知らない。
(本当に戻ってくるのかな)
机に突っ伏して目を閉じる。
(俺、待ってるぞ、直哉のバカ)
窓の外でいつの間に降り出したのか、雨音が屋内まで響いていた。
…アデュルトはまた間の話が楽しめますが、やっぱりリンクはここにありません。
気になるようなら探してみて〜♪